エッセイ
Vol.47 卒業式
晴れ渡った空に美しいアルプスの山々を望みながら息子の卒業式に出席した。私の卒業証書は万年筆で名前が書かれた簡単なものである。大学紛争後の簡素な卒業式であった。それでも新しい出発に期待を膨らませたものである。
子供達も徐々に卒業し自立していく。ふと妻の横顔を見てしまった。オーケストラをバックに荘厳な卒業式であった。卒業生より両親、家族の数が多いのではないかと思われるほどである。
沖縄でも卒業式に出席し感動した。20代から50代、総勢200名ほどの卒業式であった。わいわいがやがやもなく期待に胸を膨らませている大人の卒業式であった。娘さん、ご主人、お孫さん、お婆さん、家族が見守る中、看護学校の卒業式に講師の一人として出席した。これだけ世代の違う人々が卒業するのを初めてみた。
沖縄の看護学校の特徴は4、50代、大学を卒業した人も受験してくるのである。高齢化社会を迎えて看護や介護の仕事が多くなってきた。看護や介護の分野は大変人手のいる職場で根気のいる仕事である。娘さんを看護師にした後で自分も看護職を目指す人もいる。ある時はお医者さんの奥さんもいた。
講義の後、試験をしなければならないが、「先生やさしい問題を出してね」と注文をつけられてしまった。もちろん手加減などするはずがない。私の”素晴らしい講義”を聞いたものは必ず試験に合格するのである。もちろん国家試験にも合格した。
准看護学科150名、看護学科50名の卒業式であった。仕事をしながら学校に通い、疲れた体で勉強したのであろう。准看護学科(今はなくなってしまった)は2年間看護学科は3年間勉強しなければならない。高校から入学した人には勉強は楽かもしれないが、一度社会人になり再び勉強に打ち込むことは並大抵なことではない。子育てをしながらの勉強である。多くの苦労が身を結んだ涙と喜びの卒業である。
看護師の仕事は大変だ。手術後の動けない患者さんの世話をしたり、痛くないように体位を変えて上げなければならない。24時間人工呼吸器のお世話になっている患者さんもいる。目の離せないことばかりである。日本の医療の現場は忙しすぎる。もっとたくさんの看護師やスタッフがいなければ医療事故も減少しないであろう。
患者さんが病院で支払う費用の半分以上は薬代や医療に使われる材料費や検査の代金であることは意外と知られていない。人件費にまわる分が少ない。看護師がバタバタ働いているのが現状である。
夢を持って入学してくる看護師の卵たち、いろいろな人生経験を持つ同級生たち、先生より年配の学生もいる。入学試験の面接にも立ち会ったことがある。皆一生懸命である。むずかいし勉強だが、手術中の緊張感、病院での実習を通じて人々への思いやりが湧いてくるのである。患者さんからかけられた「ありがとう、頑張ってね!」の体験を活かして卒業していった皆さんにもう一度『卒業おめでとう』
追記:2003年3月に発表した文に少し加筆した。ある病院にお見舞いに行った時に「玉城先生、どうしたのですか?」と声をかけてくれる看護師に会い、大変嬉しい気持ちになった。
最終更新日:2025.09.08