エッセイ

Vol.05 顔

 「お父さんはいらっしゃいますか」我が家を訪れた患者さんの家族が妻にかけた言葉である。わたくし26才。

 「引率の先生と思った」高校を卒業した年に、同級生で泳ぎにいったある夏のことである。

 わたしの顔はなかなかハンサムで自分でも気に入っているが、若干世間と意見の違いがあるようでもある。世間はわたしが20代の頃より、40代と思っていた節がある。

 わが子供たちに「きみはお父さんによく似ているな」などというと大変おこられたものだ。「絶対、お父さんには似ていない。じぶんはお母さんに似ているのだ」父親はつらいものである。しかし5名のうち2人はわたしに似ていると思った。女の子には悪いが我が家も含め、世間ではお父さんに似ている女の子が多いように思う。

 幼い子供は顔も含めからだの各パーツを両親から少しづつもらっているようである。足の指の形、爪の形、毛のはえぐあい(沖縄的)がそっくりである。心も似ているところがあり、『こいつも俺とおなじ弱点をもっている。すこし苦労をしないといけないかもしれない』と思ったものだ。

 わたしたちの世代は沖縄を背負っている顔が多い。東京ですれ違っても、あいつは沖縄だとすぐに分かったものである。まぶしい、まぶしい沖縄のバス停。なんでおばさんたちはみんな怒っているのか。いや、いや、怒っているのではない。屋根の上のシーサ?と同じで太陽がまぶしすぎるのである。まぶしい太陽が沖縄の顔を作っているのである。

 夫婦の顔もなぜ似てくるのであろうか。30代で良く似た夫婦もいる。こころがひとつになっているのであろうか。「我が家も最近、顔が似てきた」と宣言したら、妻の姉妹に完全否定された。

 顔は自分でつくるものだと思っている。自分の作った顔が好きでないとかわいそうである。顔には歴史がある。冷たくすました美人より、いつもにこにこ明るい顔が気持ちよい。

 子供たちの顔も少しづつ大人になってきた。27才の長男。いつも見なれた鏡の自分にあたらしい発見があった。『やばい、鏡のなかにおやじがいる』とつぶやいたとのこと。

 逃げられはしないのだ!!

(2002年11月11日 掲載)

那覇西クリニック理事長
玉城 信光

最終更新日:2002.11.11